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2007年05月16日

過去記事:五月晴れず

近しい人が亡くなった。
末期癌の末の壮絶な最後だった
二週間ほど前にそのことを知らされ病床に見舞いに行ったが、モゴモゴと目を閉じたまま話すだけで会話を進めることはできなかった。
見舞いの別れ際「ほんなら、また来るし」と手を振る私を眉間にしわ寄せ強い眼差しで見ていたのが印象に残ってる。

癌の転移のためモルヒネも効かず昼夜激痛との闘いで、精神的な安らぎだけを求める最期だった。
最後の瞬間まで弱音を一言も発さず、朦朧とする意識の中でも家族の心配を寝言のように話すような強い精神力の持ち主だった。

2年間の闘病生活だったと娘さんが話してくれた。
告別式の前に無理を言って棺の中の顔を見せてもらった。
じっと見つめながらズーッと涙だけ流すまいと堪えていた。
「そう長くはない」と知らされてからは、ブログだとか依頼されていた記事なんぞは、なかなか書けなかった。
自分の考えや感情の変化を文中に入れ込むには複雑な状況だったから。
言い訳と一蹴してくれ。

久しぶりに京都の実家に帰り、故人に対して同じ記憶を持つ弟にハンドルを任せながら、五月の京都の街中を火葬の帰り道に助手席で思いにふけっていた。
おりしも当日は日本?三大祭「葵祭」の日。
きらびやかな時代衣装で馬(本物)にまたがる平安時代の仮装が行列を成す。
俺:「若いよな…死ぬには…」
弟:「まーね…」
俺:「…なんでこんな渋滞してんねん?」
弟:「…んん、ん?交通事故かな?警官みえるわ、あ!祭やわ」
俺:「ほんまや、時代祭か?(←不正解)」
弟:「…おれ、仕事もあるしスグ帰るわ、とんぼがえりや。アニキは?」
俺:「あぁ、おれも今日中に帰るわ…」

実家に着いてそそくさと帰り支度の弟を尻目に長老ネコをなでながら時間をつぶした。
弟が実家を出て一人になったら急に悲しくなってきた。
さんざ泣いて泣きつかれて寝込んでネコの鳴き声で目が覚めた。
五月の夕は明るい。
帰り支度をして京都駅へタクシーで向かう。
駅へ向かう道は祭の行列の反対車線。
斜に差す夕日に照らされる祭衣装を見ながら、既に明日の仕事のシミュレーションを始めてる自分に嫌気が差して、ブログか依頼されてる記事に今日の事を書こうと決心した。
それも、共感をもらうためではなく事実のみを書こうと。
その方が何か伝わる、何か残せるとチョット矛盾を認識しながら。
雲の多い京都の五月は風が涼しかった。

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